Thursday, January 04, 2007

「仏」は「良心を発動する遺伝子の存在」と「物理」を合わせたようなもの

仏は人ではなく、仏は聞こえる言葉でもない、と
説明されています。

仏のまことの相は、
世の人には見ることもできない。
どんなにすぐれた描写によっても
仏を知ることはできないし、
どんな言葉によっても
仏の相は言い尽くすことはできない。(仏教聖典)

敢えて「仏のメッセージ」というものを考えたときに、
対応する科学の言葉は「良心を発動する遺伝子」と
解釈するのが相応だと考えます。

「良心を発動する遺伝子」は人の感情の有無によらず、
人種によらず宗教によらず存在し、
遺伝子は「物質」として意味があるのではなく、
その配列、つまり情報、「メッセージ」に意味があり、
そして遺伝子はすべての生き物が等しく持っているものです。
それゆえ、この表現は意味を持ちます。

人が思うから有るのではなく、
人が忘れるから無いのでもなく、
人の喜ぶときに来るのでもなく、
人の怠るときに去るのでもない。
仏そのものは、人の心のさまざまな動きを超えて存在する。
仏の身は、あらゆる世界に満ち、
すべてのところゆきわたり、
人びとがふつう持っている仏に関する考えにかかわらず
永遠に住する。(仏教聖典より)

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